茶の本、第七章茶の宗匠より抜粋


利休の「最後の茶の湯」はその壮絶な悲劇性の故に、永久にその名が残るでしょう。

利休と秀吉との長い交流の間、この偉大な武人は利休を非常に高く評価していました。しかし暴君の友情には名誉と危険が共存しています。裏切りの時代でしたから、近親のものさえ信じられませんでした。利休は他の卑屈な家来とは異なり、気性の激しいパトロンと議論しても遠慮しませんでした。秀吉と利休の間に冷たい関係が続いた時、その機に乗じた利休の敵は、秀吉毒殺の陰謀があると訴え、利休がお茶の中に毒薬を入れて秀吉に飲まそうとしているとささやきました。秀吉にすれば、疑いだけでも死罪を命ずるに充分な理由でした。命令に従うしか道はありません。死を言い渡された者のただひとつの特権は、名誉ある自害です。


利休の自害の当日、彼は主だった門人たちを最後の茶の湯に招きました。定刻は、客は悲しみに沈んで待合に集います。露地に眼をやると、木々も震えているようです。葉のすれる音も亡者のささやきに聞こえます。あの世の入り口の番兵のように、石灯籠が立っています。


茶室からほんのりと香りがただよってきて、客を招きます。彼らは一人づつ進み入って席につきます。床の間の掛け物は昔の僧侶の手になる見事な書で、この世のはかなさを詠んでいます。 炉の上にたぎる茶釜の音は、ゆく夏を惜しみそれを悲しむ蝉の鳴き声かとも思われます。


やがて主人が部屋に入ってきます。


順に茶をすすめられ、めいめいが静かにこれを飲み干し、最後に主人が飲みます。作法に従って正客が茶器の拝見を乞います。利休は床の間の掛け物とともに、さまざまな品を前におきます。一同がその美しさを讃えると、利休はそれを一つずつ同席のものに形見として贈ります。茶碗だけを手元に残します。そして「不幸な人間の唇によって汚されたこの碗を二度と再び使わせまい」と言い終わると、これを微塵に砕いてしまいます。


セレモニーは終わり、客は涙を抑えかね、別れを告げて茶室を去ります。ただ一人利休にもっとも親しいものが求められて残り、最後を見とどけます。利休はやがて茶会の着物を脱ぎ、丁寧にそれをたたみます。するとそれまで見えなかった白無垢の死装束が現れます。彼は死の短刀のきらめく刀身に静かに目をやりながら、最後の詩を詠みます。



人生七十 力囲希咄 吾這宝剣 祖仏共殺

じんせい七十、 りきいきとつ、 わがこのほうけん、そふつともにころす




七十年も生きた、 もうどうということもない

なんじ永遠の剣よ

私と共に、達磨も釈迦もつらぬくのだ




これはインターネット上のwww.sekiya.net/cha-no-hon/tensin/masters.より掲載させてもらいました。
岡倉天心の「茶の本」についていろいろ書かれているHPです