お茶について
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茶は木の名である。茶という字は、「茶」と書き,木偏に茶という字を書いたものが正当のようである。茶の原産地は、もちろんシナであると伝えられるが、一説には、インドにも、ジャワにも、また南米のブラジルその他にもあったといい、日本にも自然生の茶の木はあったものといわれ、紀州の熊野、伊豆、四国、九州のいたるところにあったといわれているがその確証はない。
また茶の起源の考証については、唐の時代に書かれた、陸羽の「「茶経」」に出ている。
陸羽は唐の代宋・徳宋の時代(763−804)に、諸国を流浪して、茶のあらゆる方面を研究した。後代、茶の経典と言われる「茶経」三巻を著した。


茶の効能

茶には多量に、アスコルビン酸が含まれていて、薬効があるということである。
それがため、このアスコルビン酸を茶の中に保存させることが、その製茶法の大切な要点で、なるべく天気晴朗な日に葉を採って、それを造り上げるには短時間の内にすること、醗酵させてアスコルビン酸を失うようなことでは茶の巧みな製法とはいえないというのである。
そして、変質させないように、口を完全に密封する、風湿に触れカビなど絶対に生じないように、貯蔵法には細心の注意が必要でる。

茶の功能としては、まず心臓を強くすることである。茶の苦味が心臓によいというので、これには陰陽五行説をとりあげ、また真言密教の立場からも説かれている。
また、茶を飲めば酒を醒まし、人をして眠りをすくなからしめるというので、唐の時代には禅僧の間に盛んに用いられたというものである。
このように禅僧が茶を喫したことは、その意志を強くし、またその精神を調えるとか、内心がすがすがしくなって、禅の悟境が得られるからとか言われたからで、ここに茶と禅が自然に結びついて、この二者の関係がすこぶる密接なものとなったように思われる


「茶と禅」 伊藤古鑑著より

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茶の科学

茶は、その製法によって、品質もちがってくる。紅茶も、緑茶も、とくに、紅茶の樹とか、緑茶の樹とかいう、ちがった種類の茶樹の葉から採取するわけではない。同一種の葉にすぎない。ただ、その製法の相違から、品質の優劣ができてくる。それならば、緑茶と紅茶の製法のちがいは、どこにあるのか。
緑茶は、できるだけ、茶という植物の自然の性質を保存し、比較的すばやく乾燥させたものである。これに反して、紅茶は乾燥する際に、適度の発酵作用を起こさせたもので、色が紅く変化したのは、落葉が枯れるにつれて変色するのと同じく、発酵作用に伴う酸化のためにアポテムと称する、一種の色素ができるせいである。
こうした製法の違いで、薬物的な効果も、いくらか違うけれども、だいたい、
茶の主成分となっているのは、茶素と、鞣酸(じゅうさん)と芳香油ビタミンCの、四つである。

このうち茶素というのは、眠気を醒ます力を持っている。だから眠くてたまらない時に、茶を飲むと、意識が明瞭になってくる。これは、ほかの薬物には余り見られない独特の性能であり、古くから知られているので、僧侶が修業する時にも、利用された。寺院に茶事がおこなわれるゆえんである。酒や、モルヒネ、コカインなどは、麻酔剤だから、飲む量が増すに従って、心身の保護器官を破壊し、我が身を滅ぼし、社会に害毒を流す結果ともなるが、茶素は、沈静剤であって、人間の自意識をはっきりさせ、理性と意志の力をやしなう働きをする。それに心身の疲労を回復させる。

つぎに鞣酸(じゅうさん)とは、どんなものか。これはもともと獣皮を鞣(なめ)す為に使う薬物で、渋味のある収斂剤(しゅうれんざい)である。植物の皮、葉、青い果実の中に、含まれている。とくに、茶の葉の中には、これが相当にある。
鞣酸は、いろいろな毒物、とくに、金属、アルカロイド、蛋白質などを沈殿させる働きをもっている。モルヒネ、ストリニヒン、そのほかの毒物はたいてい、アルカロイドだから、それらに対して、強力な解毒作用をしめす。また、蛋白質を沈殿させるから、不良飲料水の中に含まれている有機物質を沈殿させ、腐敗を止め、水を浄化する。上水道の設備もなくて、飲料水の不良な場所では、茶が浄化剤として利用されている。良水に乏しい中国大陸で茶が貴重視されるのも、無理ないことであろう。鞣酸は、また、収斂剤として、ひろく薬用に供せられている。
炎暑のために、からだが弛緩して、だるくなった時に、茶を飲めば、鞣酸の収斂作用によって、身体がひきしまり、、精力を維持することができる。旅の道端に腰掛茶屋ができたのも、人間自然の要求にこたえたものである。禅宗とともに茶の湯がひろまったのも、鞣酸の収斂作用が、修業僧侶の肉体と精神をともに緊張させるからだ。しかし、鞣酸は、蛋白質を固めて、これを強靭な角質様のものに化するから、余り飲みすぎると、胃液の分泌を阻止し、食物の消化を妨害することになる。だから腹のすいた時に濃茶を飲むのは余りよろしくない。これと反対に、食事の後で、ことに、魚や肉類を食べたあとで、茶を飲むのは、たいへんよい。食後の茶一杯は、眠気の予防にもなる。暑中の朝茶粥は、眠気をさますばかりか、暑気あたりの予防にもなって、妙だ。

つぎに、芳香油は、揮発性のものである。茶の葉には、油に満ち、分枝した、壁の厚い大細胞群があり、茶の製法によって、それが、芳香油を発揮するのだ。この芳香油を、蒸留法によって分離し、これを医学的に実験すると、エーテルに解け、また脂肪をとかす力をもっている。しかも、沸騰点に近い温湯では完全にとけるが、空中に発散する恐れがあるから、煎茶の際には、急須を少し温めておいて、後に茶を入れ、これに微温湯をそそぎかけるのがよい。茶の煎じ方が余り長すぎると、鞣酸が出すぎて、苦渋味がつよいばかりか、茶の風味に最も大切な芳香油を発散させるおそれがある。だから、上茶を煎ずる際には、芳香油の発散を防ぐために、茶碗に蓋をする必要がある。茶の値段の高下も、この芳香油の性質と量の多少によって、きまる。茶の生葉は青臭くて困るけれども、これを精製して、乾かすとか、熔(い)るとか、揉むとかするうちに、爽快な芳香が発揮される。この香気は、茶の製法の如何によって、その優劣が決まるのである。芳香の特徴は、悪臭を消すにある。この作用が、身体の清浄を保つ上に必要なので、神仏に奉仕する僧侶によって、重んぜられた。いや僧侶でなくとも、一杯の朝茶は、口中の悪臭を去り、気分をさわやかにしてくれる。茶は、このように、他の臭気を吸収する作用をもっているが、茶自身のもっている香気はそのためにかえって損ぜられる。だから、茶の葉を貯蔵するには、なるべく、これを密閉して、他の臭気をやたらに吸収させないようにせねばならぬ。
たとえば、臭気と湿気を防ぐ力のある錫製の壺、又は錫張りの箱の中に入れておくのがよい。箱は乾いた桐の箱がよい。それから、茶の芳香油には、食肉中の脂肪をとかす性質がある。

最後のビタミンCとは、壊血病を防ぐ薬物的成分であって、新鮮な野菜や果物の中に大量に含まれているわけだから、一種の、乾かした青野菜ともいえる。緑茶の中にビタミンCがたくさん含まれているのは、あたりまえだ。だから、紅茶には、ビタミンCが少ない。禅家でつくる上等の緑茶は、晴天の日の早朝、茶の葉を摘み取って、その日のうちに、つくりあげると、いわれている。これは、なるべく化学的変化を少なくし、茶の葉を、できるだけ、新鮮な状態そのままで、保存するように、工夫したのである。上等の緑茶にビタミンC が多く含まれているのは、不思議でない。青草に欠乏している中央アジア地方の民族が、茶を生命のしるしとして尊ぶのも、このビタミンCの存在を感知しているからであろう。

「茶道の歴史」 桑田忠親著 より

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