あとりえ60
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利休百首の解説ページ ・・(10)
- 茶の湯をば心に染めて眼にかけず 耳をひそめてきくこともなし
- 「教外別伝。。 以心伝心。。不立文字」 と言う言葉がある。茶道はこの禅語のように、奥儀は教えようもなし、また習いようもないのである。だから、どうしても自分で求め、自分で得なければならないのである。
- 謡曲の「放下僧」の一節に、
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- 。。。吾らが宗體と申すは 教外別伝にして 言うも言われず 説くも説かれず 言句に出せば教に落ち
- 。。。文字を立つれば宗體に背くただ一葉のひるがえる 風の行方を御覧ぜよ
- 。。。
- とある。仏教で言えば仏祖、茶道でいえば流祖が、各々立てておかれた法則はありながら、その法則にばかりこだわっていても、とうてい奥儀には達しない。
自らが悟りをひらいて、得るようにしなければならないので、受動的でなく、自動的に得ることが、禅道の本旨であり、また茶道の本旨でもある。
- 目にも見よ 耳にもふれよ香を嗅ぎて ことを問いつつ よく合点せよ
- 前の 「茶の湯をば心に染めて」 のうたと、正反対の主旨のように思われるが、これは前の歌の、以心伝心の妙境に達するまでの修行をいったのである。
- 作法、規則を学び得るだけ学び、他派の点前、他流の書物、茶道はもとより、香道その他の修養に資し得るものは、何事も全て学んで、自家薬籠中のものとせよ、と教えているのである。
- 習いをばちりあくたぞと 思へかし 書物は反古腰張にせよ
- いくら記憶力が良くても、ときとして忘れることもある。そんなときに、筆記したものや、参考書を見ることは悪いことではない。しかし、それはやはり初心の間のことである。そんなものに頼っている間は未だ茶道の妙境に達することはできない。
- 昔ある茶人の子どもが、父より習っただけでは十分でないと、他地方の茶人のもとへ修業に行った。そこで3年間稽古をして帰った。父が「三年間、何を習ってきた」と問うと、「これです」と、柳行李いっぱいの筆記録や手控えを出して見せると、父は「まだまだ修業が足らぬ。もう一度修業に行け」と命じた。子どもはさらに三年間修業を重ねたが、再度帰宅したときには、柳行李も持たずに、父の前に出た。父が試みに種々の質問をしたが、子どもはそれに、一々答えたので、父は「これでこそ、修業をしてきた甲斐があった」と喜んだということである。
- 茶を点てば茶筅に心よくつけて 茶碗の底へ強くあたるな
- 茶を点てるとき、よく注意して、茶筅の穂が、茶碗の底へ強くあたらないようにせよ、と歌っているのである。別に説明を要さないが、茶筅や茶碗が損じないようにという主旨である。
とにかく実際に茶を点ててみると、このことがよくわかると思う。
- 水は水屋壺の水、水指の水、釜の水。湯は釜の湯。茶巾は茶碗を拭くもの。
- 箸は懐石箸、菜箸、塵穴の箸など。楊枝は杉楊枝、黒文字など。柄杓は、釜用、つくばい用、水壺用などのことであるが、これらは茶会のたびに、新しいものを用いるのである。これはいうまでもなく客に対するご馳走であり、敬礼のためで、利休がかってある茶人から、茶事に用いる道具を求めてほしいと依頼されたとき、新しい茶巾を買って送り、これさえあれば茶事ができると教えたのは、やはりこの歌の主旨と同じである。
- 「心あたらしき」とは、主客とも和敬を保つには、いつも初対面のような慇懃さが必要なのである。
- 昨日会った人でも、今日初めて会った人のごとく、心をあたらしくして接してこそ、和敬の気持ちがわいてくるのである。
- 茶はさびて心はあつくもてなせよ 道具はいつも有合せにせよ
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- 茶の湯は、質素にせよ。華美でなく、贅沢にならないようにせよ。これが 「茶はさびて」 である。
- 「心はあつくもてなせよ」は、招いた客に、なにはなくても心に満足を与えるように、不快な感じを起こさしめないように、誠心からもてなしをすれば、道具は無理をして買い求めた、高価なものや珍器でなくとも、有り合わせ、すなわち身分相応の道具でよい、というのである。
- 近頃は、高価な道具や山海の珍肴で茶事を催し、点前は出入りのお茶の先生か、道具屋の番頭にでもまかしておいて、自分はただ道具の自慢をするために顔をだしている、といった茶人が多い。
- この歌は、そうしたことを戒めているのである。
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- 釜一つあれば茶の湯はなるものを 数の道具をもつは愚な
- 釜一つあれば、茶の湯が楽しめるという意味ではない。もちろん茶入も、茶杓も、茶碗も、茶をたてるに必要な道具は、一通り揃えておかねばならない。
- しかし、余分な道具は必要でないし、それを無理して求めることもない。
- 茶は道具で点てるのではない、心で点てるのだ、ということを教えた歌である。
- かず多くある道具をも押しかくし 無きがまねする人も愚な
- 前の「釜一つ」の歌とこの歌は、百首以外のものだが、やはり利休の作と伝えられている。
- 「茶はさびて」の歌を極端に解せば、釜一つあれば、茶の湯はできる、それに数多く道具を持つということは愚かなことだ。身分相応ということを忘れなければ、それで十分だ。
- しかし、数多く道具を持っておりながら、それを隠して道具を持っていないような顔をしている人も、愚かなことだ。持っている人は、それを十分活用して、茶の湯をすればよいのである。
- 茶の湯には梅寒菊に黄葉み落ち 青竹枯木あかつきの霜
- 茶の湯には、陰と陽との調和が必要であることを教えた歌である。
- 梅や寒菊が、寒い時候にも臆せず、花を咲かせているのは、陰の時候にもかかわらず、陽の花を開いていることになる。公孫樹の葉の黄ばんで落葉するところは陰であるが、その落葉する様子は、まことに美しい。
- この美しいということは陽である。
- 青竹は陽であり、枯木は陰である。 口切の茶事は、十一月、今なら十二月上旬頃だが、その自分に、露地の木々は冬枯れているが、竹垣、はじとみなどは、青竹の新しいものと変えてしまう。
陰陽の調和の美しさを、しみじみ感じさせられるのはこのときであろう。
- 暁は、一日の陽の始めであるが、霜は陰である。こうした陰陽の調和は、外観だけでなく、茶室の中の道具の取り合わせや、亭主の心構え、その他にも忘れてはならないことは、これまでの歌で教えられていることである。
- 茶の湯とはただ湯をわかし茶をたてて のむばかりなる事と知るべし
- 茶の湯とは、決して億劫な事でも、窮屈な事でも、またむつかしいことでもない。ただ湯を沸かして茶を点て、飲むだけのことである。一口に言えばなんでもないことである。しかし口ではそう一言でいえても、さて実際に行
- ってみると、なかなか行いがたいものである。
- 柳は緑、花は紅、とかいうことは、誰でもわかっていることである。しかし、なぜ柳は緑で、花は紅であるかと、人に問われたら、すぐ答えることができるだろうか。
- 茶の湯とは、ただ湯を沸かして 茶を点ててのむばかりだ、そのくらいのことなら、修業も、勉強も不必要だと思ってしまえば、それまでのことだが、無我無心に茶を点てることのできる人が、はたして何人あるだろうか。
- よくよく自問自答してほしい問題である。
- もとよりもなきいにしえの法なれど 今ぞ極まる本来の法
- この歌は、昔になかったものを、今定めたと言う意味で、すなわち利休のときに、茶の道を大成したことを歌ったのである。
- 茶の湯は、利休の時代よりも前から行われていた。 室町時代には、上流社会で行われ、その後信長、秀吉なども茶の湯を好んだ事は、誰もよく知っていることであるが、
そのころの茶の湯は、とかく華美に流れて、風雅に遠く、美術工芸の発達には、効果があったが、精神修養という点には至っていなかった。
- それを利休が、禅道と結びつけ、いわゆる茶禅一味を説いて、茶の湯は、ただの遊びでなく、心を養うものである。その事が茶道本来の法である、と歌ったのである。
- 規矩作法守りつくして破るとも 離るるとても本を忘るな
- 規則は守らなくてはならないが、その規則を破っても、規則からはなれても、本を忘れてはならない。
- 炭をつぐ時に、その規則、作法をよく守ってつぐのはもちろんの事であるが、だからといって湯がたぎらない炭のつぎ方では、何の役にも立たない。毬打をいくつ、胴炭をどこへ置く、ということは規則である。しかし下火の都合で、その規則を破らねばならないこともある。規則は規則、作法は作法として心得ておいて、さて主人となり、客になった場合、臨機応変に、規則を破る事ができるようにならなくてはならない。そのためには、常に規矩作法を、十分勉強しておかなければならないことになる。
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- この歌は、お茶だけではない。会社や役所の仕事の上でも、相通じることではなかろうか。
利休百首
井口海仙著 より
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