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利休百首の解説ページ ・・(5)
- 姥口は囲炉裏ふちより六七分 低くすゑるぞ習ひなりける
- 姥口の釜というのは、口づくりが、歯の抜けた老女の口に似ているところから名づけられた釜の名称の一つである。
- 具体的に説明すると、釜の口づくりは、胴より高く作られているが、姥口はその反対に、口が胴へ折れまがるようになっているから、胴全体より低いところに口がある。それで柄杓を釜に懸けるとき、口に懸けることが出来ないから、胴の上部にあたるところに、柄杓をのせることになる。
- そこで姥口の釜を炉に懸けるときは、前の歌とは逆に、炉縁より約二センチ(六、七分)ほど、低く懸けるようにする。
- このように姥口の釜を炉に懸け、柄杓を釜の肩にのせて引くと、前の歌の釜の懸け方と同じように、柄杓の柄と畳の中間に、指一本入るほどの空間が出来るのである。
- なお、釜を懸ける高低は五徳の据え方で、決まることはいうまでもない。
- 置き合わせこころをつけて見るぞかし 袋は縫目畳目に置け
- この歌は、道具の置き合わせに注意せよということになるのだが、茶の湯の点前中、なにがむつかしいかというと、この置き合わせほどむつかしいものはない。
- 運び点前で、水指を運び出して定座に据えるにしても、すこし向うに行きすぎたり、前よりになったりで、あとの点前が、やりよくも、やりにくくもなる。棗、茶筅の置き合わせでも同じである。上の句は、だいたいこのような道具の置き合わせについての注意であるが、下の句の「袋は縫目畳目に置け」というのは、濃茶の場合、茶入、茶杓、袋を客の拝見に出した時の注意である。
- 茶入の袋は、三角でも円形でもない形であるから、客の側から見て、形よく出すのは、初心者ではむつかしい。そこで、形にとらわれず、袋の縫い目を、畳の目に合わして置くようにせよ、と注意しているのである。
- はこびだて水指おくは横畳 二つ割にてまんなかに置け
- 茶室では、炉の位置は固定して動かすべからざるものになっている。また風炉の位置も、本勝手ならひだりより畳目九つとか十一とかで、前も畳の縁から十六目などと定められている。この炉、風炉の位置が定まっている以上は、その次に水指の位置が定まってくる。そこでこの歌は、水指の位置を教えているのである。勿論水差の位置も棚物のある場合と、運びの場合と、違ってくるが、棚物のある場合は、水指の位置より、まずその棚物の位置から定めなければならない。棚物により、畳目いくつに置くということが決まれば、水指は、その中央に置けばよいのである。
- この歌のように、運び手前のときは、炉の場合は、畳のよこはばを二つ割に下、その中央におくので、前向うの寸法は、炉では水指の前面から前約二四センチ(八寸)におくのである。もちろん、水指の大小によって、多少の斟酌が必要である。
- 茶入又茶筅のかねをよくも知れ あとに残せる道具目当てに
- 茶入を置く位置は、茶を茶碗に入れるごとに移動しやすく、茶筅の位置は、茶筅通しや、茶を点てるたびに、かわりやすい。これは初心の人のお点前中によく見うけることである。
- 茶入、または棗を始めに帛紗で拭いたときに、正しい位置に置き、次に茶杓を拭き、茶筅を定めの位置に出す。
- さて茶筅と押しを済ませて、茶筅を元に戻すのだが、このときに、茶筅の位置が、元の位置と、少しずれたりすることがある。
- それで、まだ動かしてない茶入を目当てにおき合わせ、茶入れをとって茶を茶碗に入れ、茶入れを元にもどす時は、茶筅を目当てに置けば、初めの置き合わせと同じようになる。
- 点前がすすむにつれて、茶入、茶筅の位置がずれてくるのは、あまり見よいものではない。
- 手桶水指の扱いを教えた歌である。置き合わせは、手を横一文字にして、蓋は割り蓋になっているから、前の方の蓋をとり、向うの蓋に重ねておく。
- 置き方を、もう少し具体的に説明すると、両手で前の方の蓋をとって、右手を向うに繰り出して回して、丸いほうをむこうにして、両手で向うの蓋の上に重ねる。蓋を閉める時は、この反対に扱えばよいのである。蓋の合わせ目は、上へかかっている方を手前にする。
- 他に、人差し指を下にして右手で点前の蓋の前の中央をとり、そのまま一手で水指の手を越して、向うの蓋の上に立て、水指の手にもたらせて置く。このときは水指しの手前の方にあったところが上に向くことになる。
- もう一つは、右の手で水指しの点前の蓋の中央を取り、水指しの勝手付のほうへ、丸味のあるほうを畳につけて、普通の水指しの蓋を取るようにして置いてもよい。
- 釣瓶こそ手は竪におけ蓋とらば 釜に近づくほうと知るべし
- 釣瓶の水差しは、手桶と又ちがった置き方になる。利休好みの木地(後には、春慶塗や陶器のものもできた)手桶は、手を縦にして置く。
- 釣瓶や手桶の水差しは、炉、風炉とも用いるが、釣瓶はなるべく風炉に用いた方が、道具の取り合わせ上良い。それは形が四角のものが多いから、風炉の丸いものに対照がよいからである。
- 釣瓶の蓋は割り蓋になっている。手を縦にして置くから、蓋は手を中心に左、右となる。蓋を取るときは、左、すなわち釜に近いほうを取る。蓋の向うに右手をかけ蓋をすこし前の方に押しておき、前に出た端を両手で前に引くようにして取り、右側の蓋の上に重ね、前の端をすこし出しておく。蓋裏には直しでもあれば、蓋を裏返して右側の蓋の上に重ねてもよい。しまうには、その反対にすればよいのである。
- 余所などへ花をおくらばその花は開きすぎしはやらぬものなり
自分の家の庭に咲いた花を、知人に贈ることがある。花の咲く頃になると、家で生けるだけでは、使いきれないほど多いので、知人が訪ねてくると、庭から切ってきて、もって帰ってもらうことがある。しかし半開きや、蕾のついた枝は、中々切り惜しみをするもので、まず開ききった花の枝を切って、もって帰ってもらうのである。
利休はそれではいけないといっている。開きすぎた花など人に贈っては、先方が花入れに生けようとする頃には、花がしぼみかけるか、葉が枯れかけるかして、役に立たなくなってしまう。贈るには未来に楽しめる花、未来に希望のある花、すなわち開ききっていない花を贈れば、もらった人の役にもたつし、また楽しみにもなる。
- 小板にて濃茶をたてば茶巾をば 小板の端におくものぞかし
- 昔は濃茶の時、茶巾を水指の上にのせたのだが、後に、風炉を据える小板に、茶巾をのせる法ができた。
- 小板に風炉を据え、濃茶点前をするとき、茶巾を茶碗から初めて出すとき、まず帛紗で、小板の右前の角を二の字にぬぐい、
- 帛紗を左手に握ったまま出して、小板の右前角、、帛紗でぬぐったところに、手なりに置く。茶碗を拭いてからは、茶巾はいつものように、釜の蓋の上にのせるのである。
- 小板というのは、風炉の敷板のことで、大板,長板に対する名称であるが、炉を向切りにするときは、炉縁の向うに入れる板も小板というから、それと区別するため普通は敷板とよんでいる。その敷板にも色々あるが、茶巾を載せてよい敷板は、荒目板に限られている。
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- 古い茶書には、喚鐘(かんしょう)と鉦(どら)を同一のものとしているが、裏千家では、鉦と喚鐘を別の物として、打ち方も変わる。喚鐘は座敷の書院の天井などにつるしてある釣鐘型の小ぶりの物で、夜咄(ばなし)茶事などの節に、後入の合図に打つ。その打ち方は、大小中中大と五点打つのである。初めに大きく打ち、次に小さく打ち、中を続けて二つ打ち、最後に大きく打つ。
- これは亭主が客を迎えに出る代わりに打つのであるが、貴人客などのときは、五つのうち四つまで打ち、最後を残して、亭主自ら迎えに出る。これを打ち残しという。
- 喚鐘の場合は五つ打ちに限るが、鉦の場合で、五客か五客以上のときは、大小大小中中大と七つ打ちになり、四客以下のときは、喚鐘と同じように五つ打ちになる。
- 鉦の場合でも、最後を打ち残し、亭主が迎えに出ることがある。
- 茶入れより茶掬ふには心得て 初中後すくへそれが秘事也
- 「初中後」は、はじめ、なか、あとと読むのではなく「しょちゅうご」と読むのである。
- 茶入れから茶碗に茶を入れるとき、はじめに三杓掬いいれて、後はまわし出しにすることは、習いの通りであるが、ただ三杓でさえあればよい、というのではない。そのすくい方に、初中後があるのである。
- 初中後のことを、序破急ともいう。これは初め少しすくい、二杓目は初めより少し多い目にすくい、三杓目は、最も多くすくうのである。
- 三度とも、同じ量ではおもしろくない。「能」にも序破急の教えがあるが、これも同じテンポではおもしろくないからである。
- なんでも初めから多いのは、かえってよくないので、次第に多くするのがよいのである。
- 濃茶をたてるとき、このことを特に注意してほしい。
利休百首
井口海仙著 より
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