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利休百首の解説ページ ・・(7)
- いにしへは夜会などには床のうち 掛物花はなしとこそきけ
- 「いにしへは」というのは、利休以前のことである。その時代は、夜の茶会の場合、床には掛物も、花も用いなかった。こらはかすかな燈火では、掛物の字が読めないし、花は、その影が壁に写ってわずらわしいからである。
- しかし利休以後は、掛物は、かすかな燈火でも読める程度の大字のものか、ごく細字の物を懸ける。細字だと、客は席中の手燭を持って床の上にあがり、読むことが許されているからである。
- また花は、白い花なら生けても良いことになっている。赤い花、黄色の花はいけない。これは燈火によって色が変わるからである。
- 花のかわりに、石菖鉢や盆石をかざることもある。石菖は、燈火の油煙を消す働きがあるともいわれている。
- お茶を習っている人なら、いまさら説明を要さない。利休以前から、炭斗として用いられていた瓢(ふくべ)は干瓢にする瓢であるが、これを毎年口切りのときに新しく切り、炉の期間中炭斗として用い、毎年新しくとりかえたのであるが、このごろは内部を黒漆で塗っていつまでも用いる。
- 火箸は、くわの柄のついたもの、桑でなくとも柄のついたものを用いる。火箸は元来全部金であるべきだが、炉中で使用すると熱いので柄をつけたのである。香合は陶磁器のもの、香は梅ヶ香のような煉香を用いるのである。
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- 菜籠(さいろう)とは、籠製の炭斗(スミトリ)のことをこう称するようになったのである。
- 炭斗は、この菜籠のほうが古いので、瓢(ふくべ)はあとになって好まれた。
- 足利時代までの茶の湯は、風炉のみで、炉は紹鴎(タケノジョウオウ)時代から出来たのである。
- 風炉も、元は中国から渡来したものであり、炭道具の火箸もそれに附属して渡来した金属製であった。
- そこで風炉の炭手前には、菜籠の炭斗、金属製の火箸という約束ができた。香合も、香も始めは中国渡来で、漆器製のものが多く、香も、伽羅・沈香・白檀などの香水であった。
- 一説には、炉に使用する陶磁器製の香合は、小堀遠州が交趾などの品を出してから、使用されるようになったのだという。
- (交趾焼>>こうちやき>交趾は現在のアンナン、サイゴン地方であるが交趾焼と言われるものは、中国南部の広東、浙江省宣興、蜀山などの諸窯で製作されたものといわれる。)
- いにしへは名物などの香合へ 直ちにたきもの入れぬとぞきく
- 昔ばかりのことではない。今の世でもこの歌のとうりである。香合が、名物や拝領物であったら、その品を汚したり、傷つけたりする心配があるから、下に青葉を敷くとか、紙を敷くとかしてその上に香を入れるのである。
- 蓋置きに三つ足あらば一つ足 まへにつかふと心得ておけ
- 「心得ておけ」は、なんだか命令されているようだが、これは「心得て置くように」という意味である。
- 蓋置には、三つ人形だとか、三つ葉とか、五徳のような、三本足のものがある。
- このような蓋置を使用するときは、一本の足が自分のほうに向くように扱って置くのである。
- 三つ人形の場合は、三人の童児が手をつなぎあって、輪になっている形だが、三人の中の一人だけが、帯を前にたらしているとか、羽織を着ているとか、変わった姿をしている。それを前にすると、一本足が自分のほうに向くことになる。
- 三つ人形に類した蓋置は、前記の他、三つ鳥居、鈴を三つ合わせたものなど、たくさんあるが、三つ人形同様、一つを前にするとよい。
- 二畳台とは二畳台目の事である。台目は大目とも書くが、一畳の畳の長さを、台子の幅の寸法だけ切り縮めた畳である。
- その畳に水指を置くのは、客付の畳の目から九つ目に置くのである。しかし「まず九つ目」と歌ってあるから、水指の大小や形状などによって、あながち九つ目でなくともよいのである。
- 台目畳の点前は、だいたい台子、長板の点前に準じてするのであるから、水指を置く位置に据えると、客付の畳の目から九つ目くらいになる。
- 茶巾は、亜麻の交らぬ麻布がよいとされていて、奈良さらし、高宮などが有名である。
- 「茶巾をば長み」とは、茶巾の長さ、わかりやすくいえば、茶巾の大きさで、布幅はかね尺で五寸(15センチ)、長さは一尺(30センチ)であると教えているのである。
- この歌は、別に説明を要さない。帛紗の寸法である。ここに歌われた帛紗の寸法は、利休の室、宗恩が定められたものだと伝えられる。
- 利休時代までの帛紗は、いまの古帛紗のようなもので、和巾(わきん)と称していた。古帛紗が、つかい帛紗より小さいので、小帛紗と書いたものもあるが、これは古式の帛紗という意味で、古帛紗と書いたほうがよいのである。
- 利休が秀吉に随行して、小田原征伐に出発するとき、宗恩が紫の裂に、薬を包んで利休に渡したが、その裂の寸法を利休が気に入って、茶の湯の帛紗とした、というのである。
- その寸法は縦は九寸(二十七センチ)横幅は(八寸八分(二十六センチ)となっている。ともに曲尺(かねしゃく)である。
- うす板は床かまちより十七目 または十八十九目におけ
- 薄板は床にかざる花入れの下に敷く板である。その薄板を置く位置は、床のかまちから奥へ、畳の目で十七目か十八目、または十九目に置けと教えているが、甚だあいまいな教え方のようである。それはこの歌にあるように、床の大小、花や花入れによって、多少変わるからである。
- なお、薄板について少し注意しておく。古銅、青磁、染付などの真の花入れは矢筈板。瀬戸その他の釉のかかったものは蛤板。伊賀、信楽、備前などの侘びたものは、木地の蛤板を用いる。又、楽焼や竹の花入れは丸香台が適している。
- うす板は床の大小また花や 花生によりかはるしなしな
- 籠花入れ以外の花入れには、下に薄板を敷くことになっている。しかし、床の上が畳でなく、板になっている場合は、薄板は敷かなくてもよい。
- 花入れを置く位置は、まず薄板の位置によって定まるといってよい。
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利休百首
井口海仙著 より
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